自分の人生に対するビジョンを持て
カンブリア宮殿<特別版> 村上龍×孫正義 (日経プレミアシリーズ)
- 作者: 村上龍,テレビ東京報道局
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2010/12/09
- メディア: 新書
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何冊か読むなかで、新幹線で一時間で読めた本。スマートパッドとか懐かしい単語ありつつ、普遍的な部分として自分の持つ夢の大きさに自分の人生は概ね比例するということ。夢への恐ろしいまでの情熱。どんな夢であれ、それはその人の人生に対するビジョンだ。そういうに対するビジョンも持たずにただ生きていくためにどこかに給料を貰いにいく人もある。現実それしかないじゃんといっている間に50-60代になりあっという間に人生がおわる。
現実が厳しいからこそ自分の人生に対するビジョンをもつべき。志高く。
1兆円のスマホゲーム市場の今後予測
日本国内のスマホゲーム市場規模(ここではユーザが実際にお金を支払った金額)は凡そ1兆円という市場予測があります。2015-2016-2017と微増ながらほぼ横ばいなのでほぼ年間1兆円と捉えてよいかと思います。
1兆円規模というのは他産業でどれくらいなのか、イメージが付きやすいところでいう
・鞄・袋物 11,000億円(小売りベース)
・時計 9,556億円(小売金額ベース)
・学習塾・予備校 9,570億円(事業所売上ベース)
・缶コーヒー 7,334億円
・レンタカー 6,480億円(ユーザ支払いベース)
という感じです。
つまり何を言いたいかというと、結構な市場規模で生活に密着している産業に既になっているというところです。また事業者目線に立つと、また開発費用や運営費用の高騰は年々増加していますが、直近各所で聞く限り、
・開発費用はトータル3億円~10億円
・運営費用は月間0.1億円~1億円
という印象ですが後述する理由で一層上がると思っています。
ちなみに名前を聞いたことがある、というレベルのゲームは1本あたり大体が30人~100人以上の人が日夜運営に関わっています。
■今後どうなるのか
<市場規模に関して>
大方の予想通り、1兆円から大きく伸びることはないかと思います。何故ならば、大きく人口が増えない日本において、今後もスマホゲームで遊ぶ人達は既に今遊んでいる人達であると思うから。遊ぶゲームは変わるとしても、ゲームにかける金額や時間の総和は大きく変わることがないから、というのが理由です。(今までの生活スタイルを圧倒的に変えるようなゲームが出れば別です。)
ただ市場の構成要素は変わると思っていまして、より大きなゲームは大きくなり、小さなゲームは淘汰されていく気がします。なぜかというと、大きなゲームは開発段階から大きな開発費用をかけ、運営フェーズでは品質の高い運営にするべく、こちらもコストをかけます。開発費・運営費をどれだけかけられるか、といったレースがすでにスタートしています。運営フェーズではコンテンツの運営だけにとどまらず、マーケティングコストもかかるため、またここにどれだけのコストをかけていいかは各社の資金力との相談になるので、今後どれだけ投資できるのかという余力と投資判断ができるかに依存すると想像。
ユーザ目線に立てば、より品質の高いゲームで、ユーザに寄り添ってくれるきめ細やかな運営をしてくれるコンテンツで遊びたくなるのが自然で、中途半端な踏み込みで開発したゲームで遊ぶくらいであれば、今遊んでいるゲームを継続しながら、今以上に面白いと思えるゲームが出るのを待ち続けると思います。
現在月商1億円を超えるスマホゲームは凡そGooglePlayの売上ランキングで150位以上くらいのものがappleとGooglePlay併せて1億円くらいの肌感ですが、これは広く遍くゲームが市場にある中での限界数にかなり近づいているかもしれません。1年以内くらいに1億を超えるコンテンツは100本くらいになっているかもしれません。ただし、現在各社が開発しているアプリは今市場にあるものよりもコストをかけて作っているので、月商10億円を超えるコンテンツは今以上に増える可能性が高いです。
<事業者はどうするか>
開発費用はアートのリッチ化、コンテンツボリュームの増加を中心として今後も上がっていくことが予想されますし、運営費用に関しても「いかに長く自社のゲームで遊んでもらえるか」をベースと考えるとこちらも今後上がっていくことになることが想像できます。またゲームビジネスに関わっているとわかることですが、やはりヒットするかどうかというのが究極的にはリリースするまでわからない現状があり、またヒットの難易度が年々高くなっている感じがします。そうなると、収益性の悪いゲームはさっさと撤退し、より早く新しい売れるゲーム開発にシフトするのが自然です。赤字のタイトルは勿論ですが、収益が低いタイトルの運営に人を張り付かせるのであれば将来の大きな収益増にかけて新規タイトルを開発する、という選択を取るかと思います。(現実には運営している人全員が今の現場を離れて新作を作れるかというと、そうでもない問題もあるが)運営コストがかかる分、より早期に事業判断をする会社は増えると思います。
<早期にクローズされるゲームが増える>
事業者の一方的な判断で早期にクローズされるタイトルが増えると、そんな事情は関係のないユーザとしては非常に腹立たしいことになります。楽しんでこれからも遊び続けようと時間もお金もかけていたゲームが急にクローズする、というのは非常に辛い気持ちになります。ゲームによって課金する方の人数は非常に異なるもので、メジャーでないゲームであってもある人には非常に尊い大切なものであったりします。ユーザが辛い想いをするだけで済まされているのが現状ではありますが、1兆円という市場に対してユーザが守られていないというのが続くと社会問題化する可能性はあります。
今後より早期のクローズが顕著になり、社会問題化されるようになると、例えばリリースしてから何年は運営を継続しないといけないとか、課金の対価を十分に受け取っている場合はさておき、将来の一定期間までの運営を期待して課金した金額に関してはキャンセル可能になるとか、ユーザの保護を重視したガイドラインや事業ルールができる可能性はあると思います。むしろ今が全くなさすぎるだけで。
<運営期間コミットやユーザ保護が強化されるとどうなるか>
事業者としては新しくゲームをリリースするハードルが高くなります。出したら一定期間は運営しなければいけない=赤字になったとしても続ける必要がある。競合各社も赤字にならないようにより開発と運営によりコストをかけるようになります。なので今よりも開発運営コストがあがります。そうなると、
・薄利なゲームは他社に移管したり、クローズしたりする。
・その上で今まで以上にコストをかけて開発・運営をする
・そこまでの事業判断ができない会社はゲームを出せなくなる
・ゲームをリリースしつづけ、運営をしつづける会社だけが生き残る
・結果として市場で大きなゲームを出せる会社の数は現状より少なくなる
といったことになるのかと思います。
なので市場規模は大きく変わらずとも、市場構成は大きく変わり、事業者の数も今よりは減る可能性があるかな、というのと、大きなリスクをとってチャレンジをサポートする運営移管ビジネスというのはしばらくは伸びしろがあると思っています。スマホゲーム事業が新しい産業であるので、ルールが未整備なところが多いですが、1兆円という市場になってきた今、ユーザ保護の観点で色々な新しいルールができてくるというのは自然な気がします。
ストレッチポールで快眠を得た
これやばいす。背中伸ばすだけ、肩伸ばすだけでこんなに背中が床とくっつくようになるとは。布団が固いのではなく、背中が固いのだと思い知りました。ぐーんと布団に背中が張りつきます。
『MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣』を読んだ
今週のお題「読書の秋」
3時間で読める。面白いのでおすすめ。決算の読み方がよくわからない人向けの読み方入門みたいな本。
元々柴田さんのnoteはちょいちょい読んででいて、のれんとか、減損の考え方が理解しやすかった。特に今は管理会計で日本型の会計からIFRSに変わっている会社が多いけど、なんで面倒なことをしてまで変えるのか、とか変えたらどういうメリットがあるのは正直理解していなかった。減損とかの考え方も変わるんやね。
金融に関しては専門的な学習をしたことがなかったけども金融リテラシーはずっと必要と言われているし、そもそも自分の損得にもかかわるので、深い知識とまではいかなくても、得か損かを理解できる方がいいと思う。
この本の面白いところは、ECとかフィンテックとかアプリ事業とかキャリアとかメディアの決算を横断比較しているとともに、アマゾンと楽天、ヤフーショッピングのビジネスモデルの違いとか、ゾゾタウンのつけ払いはどれくらいの効果があったのか、とか、ブラウザよりもアプリの方がなぜサービスとしていいのか、とか決算に書かれていない内容をどう読み解くか、であったり、時系列でみて行って、この会社は何がしたいのか、今後何をするのか、といった予測が立てやすくなることを具体例をもって紹介してくれてる点。
営業職の人にとってもクライアントが何を考えていて、何をしたいのかというのを決算のテキスト情報だけではなく数値を見ることで何に挑戦しているのか、何がうまくいって何がうまくいっていないのかというのを読み解けるので、いい。
事業サイド、開発職の人にとっても、好調な他社はどういったコスト構造と時間軸で事業を進めているのか、比較してどうなのか(あくまでも競合と比較してうちがマシだな、ではなくて、自社の至らないところを見つけてより自社をよくする観点が大事と思うが)という事がわかる。
コーポレートの人にとっても、自分は世の中と比較してバリューが多い方なのか少ない方なのか、といったことが読み解けるのでキャリアを考える上での参考になると思う。
結論として決算にはあらゆる会社が丸裸にされるので、読み方を知った上で読んだ方がいい。
あとどうでもいいですけどPCで感想を書いたら蛇足大量で長文になりがちですね。スマホでできる限り書くようにします。
『諦める力』を読んだ
今週のお題「読書の秋」
お勧めの本です。
諦めるの語源は明らかにすることらしい。それは自分の強みだったり、やるべきことだったり、そういう事を明らかにして、諦めるというよりも集中することと思った。
全体的に今の自分に刺さる言葉が多かったが特にこれ。「僕には、アメリカという国の持つ空気と、日本のアスリートや大学の体育会的雰囲気が重なって見える。何事に対してもポジティブで能動的、物事は右肩上がりでよくなっていくはず。そこには何かを得たら何かがなくなるというトレードオフの感覚は一切ない。僕自身が二十代前半まで抱いていたやればできる、すべては解決できるという根拠のない全能感みたいなものかもしれない」というところ。
個人的にベンチャー企業に対する違和感にも似ていて、勿論本当に素晴らしいサービスの成長途上の一時的なチャレンジや無理をして明るい未来を実現している所もはあると思うが結果としてそれはほんとごく一部で、ほとんどが他人の資本や従業員の人生を犠牲の上に、対して革新的でないサービスを利益を出さずに勢いだけで数年続けているような会社が多い気がしてる。
自分が30代半ばに差し掛かって来たからわかってきたことなのか、考えが昔と変わったことなのかわからないが、個人の人生も事業も、上昇するより常勝することが大事で、派手さよりも堅実さ、戦える範囲で勝つ、戦わずに勝つ、無理や無茶をして勝つよりも、楽に勝つ、苦労を苦労と思えない勝てるフィールドで生きるということが個人のキャリアも企業も大事なのかも。
コンサバな考えなのかも知れないけど、常に右肩上がりでないとダメではなく、上がったり下がったりしながらも、誰にでもある弱さを許しながら自分が何者かを明らかにしながら、続いていくことが大事と最近思っている。
『われ広告の鬼とならん電通を世界企業にした男吉田秀雄の生涯』を読んだ
今週のお題「読書の秋」
われ広告の鬼とならん―電通を世界企業にした男・吉田秀雄の生涯
- 作者: 舟越健之輔
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2004/02
- メディア: 単行本
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電通鬼十訓を作った人の伝記。これ読んでないと広告業界の人にモグリと思われると思って読んだ。少年ジャンプくらいの分厚さがあってチマチマ一ヶ月くらいかけて読んでた。
鬼十訓のインパクトが強すぎるけど、それが一人歩きしているのは違う、と思える吉田さんの優しい側面を偲ぶエピソードが多々あった。登場人物も100人は軽く超すと思う。広告のビジネスモデルの歴史的変遷がよく理解できた、ラジオからテレビへのシフトした時代の早さや、その牽引役をしているシーンが結構胸熱だった。